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漢方の経験を重ねて、人々のお役に立つことを、いつまでも続けられることは、とても素晴らしい。
by kinnpoudou
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養生訓に学ぶ 25
  陰陽秉衡論  その3

 「又、陽不足を補はんとて、烏附等の毒藥(トリカブトの烏頭・附子のこと)
を用ゆれば、邪火を助けて陽気も亦亡ぶ。是は陽を補ふにはあらず。
丹渓の陽有余陰不足論は何の経に本づけるや、其本拠を見ず。
もし丹渓一人の私言ならば、無稽の言、信じがたし。
易道の陽を貴とび、陰を賤しむの理にそむけり。
もし陰陽の分数を以てその多少をいはば、陰有余陽不足とは云うべし。
陽有余陰不足とは云いがたし。**************************云々。
丹渓は補陰に偏して平平ならず。医の王道とすべからず。
近世は人の元気漸く衰ろふ。
丹渓が法にしたがひ、補陰に専らならば、脾胃をやぶり、元気をそこなはん。
只東垣が脾胃を調理する温補の法、医中の王道なるべし。*******云々。」

*東垣は字で、李杲(1180-1251)金元時代の名医。李東垣ともいう。
脾胃を大切にする治療から補土派といわれている。著書:脾胃論など。
日本の後世派(日本漢方の流派)では、朱丹渓と共に医宗とされている。
朱丹渓は朱震亨(1281-1358)とも云い元時代の名医。
丹渓心法など多数の高名な著書がある。

益軒先生は、朱丹渓の陽有余陰不足論に対して、辛辣に批判し反対してはいるが、
医者としての実績に対しては正しい評価を与えているとされています。

益軒先生が活躍されていた頃から200年ほど後、十九世紀後半頃、
中国四川省成都で、辛熱の強い附子・肉桂・乾姜などを多用して多くの病気を治した
医者がいました。彼は「鄭寿全」と云い、多量の辛熱薬を使用するので「火神派」
と呼ばれるようになります。

中国ではたくさんの流派が全国にあります。火神派は約百年ほど、地方で力を蓄え
ていたのでしょう、十年ほど前から突然中央で研究されるようになりました。
火神派の本が専門書店に山積みされているということです。日本では三年ほど前、
中医臨床2009年12月号に紹介されました。その頃、クラシエ薬品の松永講師より
初めて火神派の講義を受けて、強烈な印象を受けました。

鄭寿全先生は、病の大半は陽虚によると考えて、強力な補陽剤を使い難治の病を
治療しました。毒藥の附子は、日本では従来0.5~3g程しか使われていませんでし
たが、火神派の症例では1日分150g位までの使用例があります。

数千年に及ぶ中国伝統医学は、その時代時代の要求に合わせて、革新が行なわれ
進歩してきました。当然、現代医学(西洋医学)もその時代の色いろな要求に合わせ
て進歩しています。

益軒先生の時代から300年後、陽虚の治療に毒藥の附子を使って、とても良い効果
が出ている事を益軒先生にお伝えする事が出来ないのはとても残念ですね。
養生訓に学ぶ 25_e0017093_18114362.jpg

by kinnpoudou | 2012-09-15 18:17 | 漢方
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